今、洒落にならないレベルで銀行の凋落が進んでいます。
10年くらい前からその兆候はありましたが、マイナス金利導入とAIの進展などが叫ばれて以降、急激に銀行の立場は弱くなってしまいました。
今では地銀どころか、メガバンクまで青色吐息といった状況です。
なぜ、このような状況にまで陥ってしまったのでしょうか。
銀行のお金儲けの仕組み
銀行のビジネスモデルは、預金者からお金を預かって、そのお金を融資や運用へ回し、金利を得ることにあります。
今までであれば、運用対象の国債も一定の利回りが期待できましたし、企業へ融資するにしても、少なくとも年間1%以上の金利を取れたのです。
仮に1千万円融資すれば、1%の金利で年間10万円の収入を得ることができます。
企業も資金ニーズ旺盛で、企業が自ら銀行へ融資をお願いに行っていたので、立場の強い銀行はリスクが小さい企業を選んで融資をしていました。
銀行はストックビジネスなので、一度融資をすると何もしなくても金利収入が入ってきますし、国債の運用も特段テクニカルなスキルも必要なく、金利収入を得ることができていました。
言わば、大量の資金を元手に儲けることができていたことになります。
そのような背景があったので、儲けが少ない窓口預金業務も継続することができましたし、行員も高い給料を得ることができていたわけです。
そして、これらの環境が「銀行はきっちりしていて信頼できる」「就職するなら銀行がいい」といったイメージを植え付けることができ、優秀な人材も引く手あまたで入ってくるという、良好な環境を築き続けることができていました。
銀行がお金を儲けられなくなった根本的な理由
しかし、このような時代は終わりを告げます。
市中に資金を行き渡らせることでデフレの解消を目論んでいた日銀は、マイナス金利導入を決定します。
これが銀行にとっては大きな痛手になります。
日銀に資金を預け入れることで逆に金利を取られるという、前例のない仕組みが導入されることになり、資金は融資へ回さざるを得ない状況となりました。
当然、どこの銀行も考えていることは同じで、融資を行うために限られたパイを奪い合う合戦の様相を呈します。
銀行は基本、財務内容のいい優良な企業にしかお金を貸しません。
しかし、優良な企業はだいたい既に銀行取引があります。
その限られた優良な企業に対してハイエナのように群がるのです。
もしあなたが優良企業の社員だったらどうですか?
既に取引銀行があるのに、多くの銀行が頻繁に訪問してきたら、うっとうしくて仕方がないですよね。
でも、そこは新しく攻めに来た銀行も分かっています。
優良企業に振り返ってもらうために、「金利を下げて融資をする」ことによって取引銀行の牙城を崩そうと仕掛けるのです。
銀行のサービスといっても、どこも似たり寄ったりな上、担当者も頻繁に変わるため、銀行ごとの特徴は「金利」以外にほとんどありません。
こうやって、金利競争で取引先を獲得したり、他の銀行に取られたりを繰り返しているうちに、企業の銀行からの借入金利はどんどん下がっていくのです。
お金を借りる側である企業としては悪い話ではありません。
しかし、これは銀行からすれば、不毛な争いをしていることに他なりません。
こうして、銀行の収益は日を追うごとに減っていくのです。
そして、今もなお慢性的にどんどん体力が削られ続けているのです。
おそらく、銀行の上層部は相当な危機感を抱いているでしょう。
しかし、この「危機感」は一般の銀行員まで十分に伝わっていません。
ですので、「リストラ」という現実が突き付けられるまでは、今なお銀行員はその地位に十分な危機感もなく仕事を続けることになります。
しかし、現実として自分が働く銀行が完全にオワコン化し、今後の「リストラ」が待ったなしの状況となっていることを、銀行員は理解しなければいけないのです。
今だに続く銀行の悪しき習慣
銀行はその独特な組織であるがゆえ、特異な習慣があります。
その一部を紹介しましょう。
人事異動に対する勝手な妄想
ドラマ、半沢直樹ではありませんが、銀行員は「出世」や「左遷」という、もはや時代劇めいた言葉に敏感です。
自分のことならまだしも、「俺の同僚は本部に異動したから出世だ」とか、「あの役員は子会社に出向したから左遷だ」などと、他人の人事異動について銀行員は勝手な妄想を膨らませます。
しかし、そんなことを考えたからといって何かが起こる訳ではありません。
全く生産性のない「無駄」なことばかり言って時間を潰しているのです。
そんなことに時間を割く暇があれば、少しでも副業や転職に向けた活動をした方がよほど効率が良いと思うのですが。
紙が好き
最近は少しデジタル化しつつありますが、それでも依然として銀行は「紙」が好きです。
ちなみに、銀行では、何か事務上のミスが発生した時、どうしたらそのミスをなくせるかということを徹底的に議論します。
それはそれでいいのですが、問題はそれが「精神論」に行き着いてしまうことです。
人が確認する訳ですから、ある程度ミスが起こるのは仕方がないことです。
しかし、ITを使うなどして根本的に仕組みを変えるようなことはしません。
一例として、「チェックリスト」というものが制定されます。
これを紙で印刷して、そこに書かれている項目がちゃんと確認できれば、そこにハンコを押します。
何度も同じチェックリストを見るので、面倒臭くなって、確認もせず、印鑑だけ押して体裁だけを整えようとします。
もう何のためのチェックリストか分からなくなってきます。
滑稽なのは、このチェックリストがちゃんと作成されているかを確認する部署があるのです。
全部記入され印鑑も押されているか、最新の書式を使っているのかというのを過去にさかのぼってチェックをします。
ここで、作成が甘いと指摘され、ダメなお店というレッテルが貼られてしまいます。
なので、過去からのチェックリストがきちんと作成されているかを「チェック」するのです。
そんなことに銀行員は時間と労力を割き続けています。
そして、チェックリストをチェックするだけの人も仕事を維持できています。
しかし、こんなことばかりやっていて、今後も安泰だと言えるでしょうか?
真相は謎です。
徹底した減点主義
この文化は先ほどの問題とも通じる部分があるのですが、銀行は「何か成果をあげた」ことを評価するよりも、「失敗をした」ことを断罪するという点に力を注ぎます。
事務ミスや交通事故、コンプライアンス違反、投資信託のクレームなど、何かトラブルが発生したことに対して非常に敏感です。
トラブルの内容一つ一つに点数をつけて店同士で競わせるようなことをします。
何度も言いますが、このようなことに時間を割いてしまうのが銀行なのです。
そして、一度そういった失敗をした者に対する再チャレンジを阻害しようとします。
なので、銀行員はそういった圧力をかけられる中で、出来るだけミスをしないようにすることばかりを考えています。
前向きなことを考えている人なんて、ほとんどいません。
とにかく、本部の言う通りに融資や投資信託などの商品を獲得し、ミスをしないこと。
これに尽きます。
何か新しいことをしようとしたり、他の人が言わないようなことを言ったりすると、目をつけられます。
このような社会主義的なことをしていても、今まで組織として維持できていました。
なぜなら、融資や預金の運用で寝ていても利益が得られ、組織自体に余裕があったからです。
しかし、思うように利益が得られなくなってきた今、逆にこの文化が足かせになっているのです。
互いを疑い合う文化
銀行では一度横領事件などが起こると、信用問題につながる重大な事態になります。
過去にも同じような手口で横領をした経緯がないか、数年前の書類を全てくまなく調査します。
それは仕方がないことだとは思うのですが、問題なのは何の罪もない大多数の銀行員まで疑いをかけられることにあります。
通勤カバンやロッカーの中、机の中などを徹底的に調べられ、行動を逐一追われます。
また、店の至るところに監視カメラが設けられ、常時監視されるなど、完全に犯罪者扱いです。
こんな、ほとんど起こり得ないことに大量の時間と労力とお金をかけるのなら、そもそも銀行員がお金を扱えないようにすればいいだけなんじゃないですか?
現金はATMみたいな機械から直接出して、銀行員が直接お金を扱わなくてもいいようにするとか。
仕組みで封じればいいだけのことなのに、そういったことをせず、大量に資金を使い、従業員に対して精神論で抑圧する…、いかにも銀行らしい発想です。
なので、自分の同僚や部下がやましいことをしていないか、普段から絶えず疑い合うわけです。
こんなことをしていて、仕事のモチベーションが上がるわけがないですよね。
銀行にはこのような文化が蔓延しているのです。
しかし、最近ではこれらの文化が徐々に弱体化しつつあります。
銀行の経営が非常に厳しい状況にあり、そんな悠長なことを言っていられないからです。
それでは、現在の銀行の状況は一体どうなってしまっているのでしょうか?
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